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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本一周 east[84]

投稿日:2013年10月16日

礼文島北端の岬めぐり

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2008年12月4日

 礼文島最北端のスコトン岬を歩く。ここには「民宿スコトン岬」がある。強風を避けるかのように、岩陰に隠れるようにして建っている。西日を浴びたスコトン岬の海はすごくきれい。岩場の上に立って、対岸の金田ノ岬を眺めた。岬から見る岬というのは心に残るものだ。
 名残りおしいスコトン岬を出発。帰りは山上の道を行く。そこには「銭五」で知られる豪商、銭屋五兵衛の記念碑が立っていた。
 江戸時代の豪商、銭屋五兵衛は金沢の金石を本拠地にし、海運で巨額の財を成した。最盛期には青森、弘前、松前、箱館(函館)、長崎、兵庫、大坂(大阪)、江戸に支店を置いた。当時としては日本有数の総合商社といっていい。幕府の目をかすめ、ロシア船やアメリカ船と密貿易もしていた。
 銭五は「海の百万石」といわれたほどの繁栄を謳歌し、北は樺太から南はジャワ島までの広い世界を相手に商売をした。そして莫大な利益を得た。しかしその栄華は長くはつづかなかった。銭五からの多額の借金をかかえた加賀藩の派閥争いに巻き込まれ、一代の豪商、銭屋五兵衛は一族もろとも、あえない最期をとげてしまう。
 そんな銭屋五兵衛の記念碑を見ていると、遠く離れた金沢と礼文島がつながっているのがよくわかるのだった。
 スコトン岬につづいて澄海岬に行く。眼下の入江の海の青さが強烈に目に残る。岬の展望台からは断崖絶壁が連続する礼文島西海岸の海岸線を眺めた。船泊の集落に戻ると、最後に海沿いの道で金田ノ岬へ。岬の高台上には赤白2色の灯台。そこからはスコトン岬とトド島を眺めた。
 礼文島北端の岬めぐりを終えると香深に戻った。香深港にはハートランドフェリーの「ボレアース宗谷」が停泊していた。
 今晩の宿は香深港近くの「桜井旅館」。夕食はアカガレーとタコ、エビの刺身、煮魚、イクラ、モズク、干しイカ、ニシン漬け、ホタテ鍋と、北海の幸三昧だった。

第15日目:宗谷岬→礼文島
2008年12月4日
走行距離:108キロ(合計4,203キロ)
費用:
港の湯 700円
フェリー代 5,070円
昼食 1,000円
ガソリン 561円
宿泊(1泊2食) 8,900円
合計 16,231円
総計 159,254円


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スコトン岬の大岩
「民宿スコトン岬」


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スコトン岬の海
スコトン岬から金田ノ岬を見る


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銭屋五兵衛の記念碑
澄海岬


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澄海岬の入江
澄海岬突端の岩場


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澄海岬の展望台からの眺め
金田ノ岬から見るスコトン岬とトド島


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香深港に停泊している「ボレアース宗谷」
香深の「桜井旅館」の夕食


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